<久我の100曲> 『水に映る影(ドビュッシー)』アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ

クラシック音楽は「再現芸術」ということで、その作品の出来栄えは、当然ながら、その曲を演奏する演奏家の力量に左右されます。

同じ楽曲が、演奏家の力量によってここまで高められるのかという意味で、ひとつの稀有な例をご紹介します。

曲は、ドビュッシーピアノ曲集映像 第1集』より、冒頭の『水に映る影』。

ピアノ演奏は、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ

 

そこは、森の中でふと出くわした湖。辺りに人影はなく、私ひとりが見つめている
静かで透明な水面は、どこまでもおだやかで平らに水をたたえている
湖岸の木々の陰が、わずかながら影を落とし
水面と湖岸が切れ目なく続いているように見える
ふと、風が水面をゆらし、ごくわずかな波が広がって行く
木々の影も波にゆれ、どこか形をゆらめかせながら、少しづつ広がって行く
木漏れ日が、木々の影とダンスを踊っているようだ・・・

 

ミケランジェリによる演奏の比類のなさは、異常なまでに研ぎ澄まされた一つ一つの音へのこだわりと、全体を圧倒する、その卓越した音響の構築にあります。

楽曲を奏でる心は、脳から脊髄へ、神経系を伝わって指先、そして鍵盤へ。

全ての打鍵は、その初速から類いまれなレガートへ、変幻自在のスピード・コントロールとともに、あるべき時に断固たる頂点を。その秀逸なペダル・テクニックと併せ、全体の音響空間を冷徹に管理する専制君主として、ミケランジェリは、まさに完璧に弾き切っています。

ピアノからつむぎ出すことのできる音響としては、これ以上を期待することは無理なのではないでしょうか。

1995年に亡くなったアルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリは、イタリアが生んだ不世出のピアニスト。天才肌としての逸話は数知れません。極端に神経質で、録音は大嫌い。演奏会もよくキャンセルしたとか。

この神経質そうな顔!

しかし、残されたCDはどれも珠玉の名演で、特にドビュッシーについては、ほかに並ぶものがありません。

ドビュッシーは、「月の光」など美しいピアノ曲で親しまれていますが、その音楽史上における位置付けは極めて重要。生み出されるそのハーモニーは、至高の響きとなって多くのリスナーを永遠に楽しませてくれます。

ミケランジェリはそのドビュッシーの音楽を、あるいはドビュッシーが考える以上に拡張し、完全なものへと研ぎ澄ませたと言っても過言ではなく、これを聞かずしてドビッシーを聞いたと言うなかれ、といったところでしょうか。

1971年発表のこの「映像」は、ドイツ・グラモフォンの録音技術の優秀さにもめぐまれ、とてつもない音響をかなでています。

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ミケランジェリのドビュッシーは、ほかに「前奏曲集」があるのみですが、人類の残した宝物としてぜひ親しんでいただきたいと思います。

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