ケイト・ブッシュ


 [2018年9月4日アップデート]the-kick-inside-4e1d7ec789b25

ケイト・ブッシュも、もう還暦・・・。

1978年、二十歳でデビューした当時は、「お嬢様」とか「魔女」とか「妖精」とか、色々言われたもんです。

ファースト・アルバムのタイトルは、『天使と小悪魔(The Kick Inside)』

ケイトが世にでるに当たり、ピンク・フロイドデイブ・ギルモアの熱烈なサポートがあったのは有名な話ですね。このデビュー・アルバムで、ギルモアは2曲のエグゼクティブ・プロデューサーをかって出たり、とにかく並々ならぬ支援ぶりです。

デビュー・シングルは「嵐が丘(Wuthering Heights)」。

明石家さんまの「恋のから騒ぎ」のオープニングで使われたり、皆さま覚えていらっしゃいます?

これは、そう、英文学の金字塔。あの、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」をモチーフにしています。

寒風吹きすさぶヨークシャーの丘にそびえる屋敷を舞台に、時を超えた情念と、恐ろしくも悲劇的な恋の物語が展開する。

ケイト・ブッシュは、まさに主人公キャシーに乗り移り、永遠の恋人ヒースクリフを求めます:

風の吹きすさぶ荒れ野で 私たちはもつれ合って草の上に倒れたわ
あなたの気性と、私の嫉妬心は激しすぎて 貪欲すぎたわ
なぜ私を捨てたの?
あなたを私だけのものにしたかったのに・・・・
あなたを憎んだわ 、そしてとても愛していたわ
悪い夢を見たの 私は恋の戦いに敗れたって彼らが言っても
私の嵐が丘  あの嵐が丘にすべてを残して・・・・

ヒースクリフ 私よ キャシーが帰ってきたのよ
とても寒いの 窓を開けて 私を中に入れて
あなたのいないこの世界は、とても暗いわ とても寂しいわ
あなたに恋焦がれて でもついに敗れてしまったのね でもきっと戻ってくるのよ

冷たいヒースクリフ 私のただひとつの夢
ただ一人の征服者 長いこと、一人でさまよっていたの
でも、彼の世界に戻って行くのよ
あの嵐が丘 私の嵐が丘に帰っていくの・・・

ケイトの歌声は、時にあやしく、時にやさしく変幻自在。

その、猫のようにエキセントリックな歌声は、一度聴いたら、決して忘れられません。

限りなく繊細につむがれた音づくり。

上品なピアノを基調としながらも、タイトなドラムとベースがしっかりサポート。変則拍子のサビをストリングスがつつみながら、流麗なファンタジーの世界が広がっていきます。

実は、第一弾のシングルは、当初、レコード会社の意向で、「嵐が丘」ではなく、もっとロック的な「ジェイムズ・アンド・コールド・ガン」の予定だったんです。ところが、ケイトが「嵐が丘」で譲らず、ジャケットのデザインにも文句をつけたため、結局、販売延期した結果「嵐が丘」に落ち着いたとか。

二十歳の小娘のくせに、この妥協を許さない完璧主義者!

そのほか、奇怪なイントロから始まり、さながら絵画のようなたたずまいを見せる『天使と小悪魔(Moving)』。ケイトが凧になって飛んで行ってしまう『風に舞う羽根のように(Kite)』。声の七変化あのしめる『ローリング・ザ・ボール(Them Heavy People)』などなど。

少女から女性へ、多感な感性が研ぎすまされて、ケイト・ブッシュの個性は、既にデビューの時点で、しっかり確立していました。

いきなり、英国のアルバム・チャート3位と大成功。ただし、アメリカでは148位ということで、ケイトの成功は、まだまだ、あくまで英国的な現象だったんですね。

 

ケイトブッシュは、その後も「ライオンハート」、「魔物語」、「ドリーミング」と、個性的なファンタジー路線のアルバムを発表し、多くのファンを獲得すると共に、その謎めいたイメージもいよいよ固まっていきました。

「こうもり」になって飛んだり、奇抜な衣装のプロモ・ビデオに出たりして、ますます「怪しい」イメージが定着します。

しまいには、「ケイト・ブッシュは精神病院に入った」だの、「快楽主義でドラックやってる」だの、色々な噂が乱れ飛んだりもしたんです。

そんな彼女の「特異さ」「物語性」、そして「美しさ」がひとつの頂点をむかえたのが、例えばこれ、『バブーシュカ(Babooshka)』。1980年のサード・アルバム「魔物語」(Never for Ever)」より。

一人二役で夫の愛情を確かめようとする女主人公。さながら短編小説のような一品。

ケイトは、変幻自在に「二重人格」を演じます・・・。

なぜかコンサートをほとんどやらなかった、ケイト・ブッシュ。

後にも先にも1979年、ロンドンのハマースミス・オデオンでの公演だけが唯一のライブ・パフォーマンスでした。

そんな貴重なライブ映像をとらえたのがコレ。

曲は『ジェイムズ・アンド・コールド・ガン』

ケイトは、こんなにワイルドにもなれたんです!

ほかのアーティストとの競演も、とても限られていました。

そんな中でも、ピーター・ガブリエルとのデュオ『Don’t Give Up』は、とても印象的でした(ピーター、あんまりケイトに抱きつくな!)。


ケイト・ブッシュの独特な創作活動は、1985年の『愛のかたち(Hounds Of Love)』でピークを迎えます。

英国で1位、米国でも30位とチャート的にも大成功。さまざまなランキングでも「歴史的アルバム」との評価。

例えば:

  • 英Q Magazine誌(2003年)「Greatest Albums Ever」 51位
  • 英Mojo Magazine誌(1995年)「Greatest Albums Ever Made」 60位
  • 英ギネス「All Time Top 1000 Albums(1994年)」 228位

もっとも人気を博したのは、この曲、『Running Up That Hill』。全英3位。

ちなみに筆者は、そんなケイト・ブッシュの世界的成功とは裏腹に、だんだん変化していく彼女の曲造りの傾向に、ちょっと違和感を感じて行きました。

ハードなリズムを強調し、シンプルなコード進行で押してくるような曲調っていうんでしょうか。

かつての繊細で詩情あふれる曲がなつかしくって・・・。

 

さて、そんなケイトも、今世紀に入って以降は、すっかり影を潜めていました。

皆が忘れたころ、時おり散発的にアルバムを発表するぐらい。

 

しかし、2014年!

 

ロンドン、ハマースミス・アポロ劇場にて、実に、35年振りのコンサート!

これにはびっくりしました。真剣にロンドンに行こうかと思いましたもん。

Before The Dawn」と題され、周到に準備された復活ステージ。全22公演、すべて満員御礼を記録し、大成功のうちに幕を閉じました。

イメージ映像はこちらです(ビデオ撮影が固く禁じられ、DVDとかも出なかったから、とにかく映像がないの)。あの「小悪魔ケイト」も、貫禄たっぷりな女性へ!:

⏩記念すべきケイト・ブッシュのカムバック・コンサートの全貌は、こちらのCDで:

 

その後、また、ぷっつり音信不通となってしまったケイト・ブッシュ。

これからどのような活動が望めるのか、ちょっと分かりませんが、また、私たちをびっくりさせてくれることを願いつつ・・・。

まさに、「特異な世界観」を我がものにした、世界でも稀な女流アーティスト、ケイト・ブッシュ!

その足取りには、まだまだ目を離せません。

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