2月10日、66歳で亡くなってしまったライル・メイズを偲んで。
思えば長いこと、ライル・メイズの音楽に触れることはなくなっていました。
最後にしっかり聞けたのが2005年、パット・メセニー・グループの最後のアルバム『ザ・ウェイ・アップ』でのプレイかもしれません。
ライル・メイズの音楽活動は、パット・メセニーとの別れをもって、実質的に終わりを告げていたんですね。
ただ、あえて「ライルを捨てた」という言葉を使いますけれど、パット・メセニーの音楽も、ライル・メイズとの別れをもって、実質的に終わっているんだと思えてなりません(この件は書き出すと長くなるので、別の機会にあらためます)。
ここでは、ライル・メイズの素晴らしい音楽を振り返りながら、ご冥福を祈ることとしたいと思います。
二人の盟友関係は1978年、パット・メセニーのセカンド・ソロアルバム『ウォーターカラーズ』に始まりました。
同年に結成されたパットメセニー・グループは、11枚のスタジオ・アルバムを残し、世界中でライブを繰り広げ、そのステージ模様を収めたライブ・アルバムも発表し、ジャズ・グループとしては異例の成功を収めました。グラミー賞も11回受賞。
その間、グループのメンバーは大きく変わりましたけれど、パット・メセニーとライル・メイズの二人は、常にその創設・中核メンバーとして、バンドを牽引して行ったんです。
パットメセニー・グループの音楽は、本当に素晴らしかったです。
ライル・メイズのアコースティック・ピアノとオーバーハイム・シンセサイザーが、限りなく透明に、清らかに、雄大に広がる音風景を組み上げ、パット・メセニーのギターが、天空をこだましながら疾走していく。極度に繊細なピアニシモから、一気に駆け上がる躍動感へと。
その白眉は、やはりこの曲。グループのデビューアルバムの冒頭を飾る『想い出のサン・ロレンツォ(San Lorenzo)』でしょう。(スタジオ版が利用できず、已むなくライブで)
1992年の日本公演での映像から、『Are You Going With Me ?』:
同じく、『Minuano(6/8)~Third Wind』。ライルとパットの音世界は、より大型に複雑に発展を遂げ、唯一無二の存在となって行きます:
そして、二人のデュオ・パフォーマンスが心に迫る楽曲、『In Her Family』:
ライル・メイズは1986年、初のソロアルバム『Lyle Mays(邦題:心象風景 – ミラー・オブ・ザ・ハート)』を発表。曲は、『Highland Aire』:
そして、ソロ・ピアノが心に染みる『Mirror Of The Heart』:
1988年のソロ第二弾『ストリート・ドリームス』 は、多くのスタジオ・ミュージシャンも集めた野心的な内容でした。そのタイトル曲:
同アルバムよりもう一曲『Before You Go』:
ライル・メイズが、某シンセ・メーカーのプロモーションに際し、インタビューに応え、演奏する珍しいビデオがこれです:
そして恐らく、現存する映像としては最晩年のものとなってしまったのがこちら。2011年1月14日、カルテックにおけるライブ『Lyle Mays and Friends』です:
ライル・メイズよ、心からありがとう!そして、どうか心やすらかにお眠りください。
久我 潔
ライルが亡くなったあとのパットのコメントは、こんなことを感じたのは自分だけだと思いますが、何となく他人行儀に思えました(英語だったんですが????????????)
パットとライルに何があったのか…?パットが「ライルを捨てた」とありましたが、そのように書かれたことについて、是非お伺い次第です。
PMG再結成を夢見ていたのですが…とても残念です、
今は、ライルが安らかに眠っていることを願うのみです。
池田さん:コメントをいただきありがとうございます。確かに「他人行儀」ですよね!ただ、私の「パットがライルを捨てた」って発言が若干物議を醸しているようで、ここはもう少したってから?今は、ライルのご冥福を静かに祈ろうかと思っているところでして・・・。すいません・・・。