ピーター・ガブリエルこそ天下のボーカリストであり、天下のパフォーマーであります。
若いときも、老いてなお。その生き方には、常に注目せざるを得ません。
ジェネシスについては既に色々なところで書いておりますが、ピーター・ガブリエルの在籍時と脱退後ではまったく別のバンドと言って良いでしょう。
そして、当時のジェネシスの魅力の核心は、彼のパフォーマンスそのものにあったんです。
ステージのフロント・マンとして君臨し、観客に対する絶対的コントロールを発揮し空間自体を支配してしまう。表現者としてのピーター・ガブリエルは別格の存在です。
英国の上流階級の家庭に生まれ、パブリック・スクールに通いながら、次第に自我に目覚めていった若き日のピーター。同窓のトニー・バンクス、マイク・ラザフォードらとスタートさせた音楽集団が「ジェネシス」でした。
やがて、彼の育ちのよさと知性がどうしても垣間見えるなかに、芽生えていった表現者としての自覚。
ピーター・ガブリエルが偏執狂としか思えないコスチュームに身を包んだのは、何かで身をまとわなければ本当の自分を解放することのできなかった彼のトラウマでしょうか。
自分以外の誰かになりきり、身もだえし、さけび、涙する・・・。
ソロとなってからのピーター・ガブリエルのキャリアは、決して楽な道のりではありませんでした。
ソロ4作目まで、すべて「Peter Gabriel」という同じタイトルなのは、究極のナルシズムのなせる業か。しかし、どれもなかなか大きなヒットには結びつきません。一部の熱狂的なファンに支持される孤高の世界が続きます。
そんな「模索過程」にあったピーター・ガブリエルのライブ・パフォーマンスを凝縮したのが、1983年のライブ・アルバム「プレイズ・ライブ」です。
筆者はLAフォーラムにて、当時の彼のライブを目撃しました。白と黒のモノトーンで統一された近未来風なステージ。バンドのメンバーも黒を基調にしたユニフォームに身を包み、教祖ガブリエルの儀式に立ち合います。
パントマイムよろしく中央にひざまづくのは、顔面を化粧で覆いつくしたピーター。手をかざし、光をさえぎり、祈る・・・。
儀式のピークは、「手をかざせ」と繰り返す客席と一体となり騒然とした雰囲気の中を、ピーター・ガブリエルが、何のためらいも見せず、振り返りもせず客席に後ろ向きにダイビング。それを当然のように受け止める観客たち。次から次に「ご神体:ガブリエル」を頭上にかざし運んで行き、アリーナをほぼ一周しメイン・ステージに戻す。観客との絶対的信頼関係がなければあり得ない崇高な出来事に、筆者は完全に言葉を失いました。
「密林の中の異次元空間」。真のワールド・ミュージックとも言え、音楽的な冒険・探究心の面でも間違いなくピークにあったのが、この2枚組ライブと言えましょう。
⇒若きピーター・ガブリエルの絶頂期を画す「プレイズ・ライブ」をぜひお聞き下さい:
その後ピーター・ガブリエルは、1986年のアルバム「So」とシングル「スレッジ・ハンマー」で一気にブレイクします。
ダニエル・ラノアの完璧なプロダクションにサポートされ、ポップでソウルフルな世界が展開。全米2位、アメリカだけで500万枚突破と売れに売れました。
成功を収めてからのピーターはますます寡作になり、政治活動やワールド・ミュージック普及など社会的な道も歩んで行きます。IT関係のビジネスの方も順調なようで、まさに功なり名を遂げたピーター。最近では「So」の25周年を記念したライブ・ツアーを行ったり、まだまだ元気に活動中です。
さて、ジェネシスのオリジナル・メンバーでの再結成を問われ続けるピーターの本音は「絶対封印」にあるとにらんでいますが、どうなんでしょう?そのケジメと美学も、またピーター・ガブリエルらしいと認めてしまいたくなるんですが・・・。
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