近ごろ、なぜかあらためて小林秀雄にハマり切ってしまっております。
きっかけは、適菜収の新書『小林秀雄の警告』、それと大岡昇平の『小林秀雄』(中公文庫)。
今ごろ、小林秀雄がらみの新刊が続いて出るってのは、たまたまなのでしょうか?
「われわれは病んだ世界、転倒した世界に住んでいる。だからもう一度常識を取り戻さなければならない。小林の思考をきちんと追えば、現在のわが国が抱えている問題もクリアに理解できるようになる」と適菜収はいうけれど、そんな目先の水先案内人のようなことを小林秀雄に期待すると、大きく期待外れになるかもしれません。
小林の「思考」は、徹頭徹尾その対象を追い詰め、自己を追い詰める壮絶なもの。そして、その果てだけに本当に見えてくるものを、しかと書き記した。
三島由紀夫はこう言ったそうです、「小林秀雄は、あらゆるばかげた近代的先入観から自由である結果、近代精神の最奥の暗所へ、づかづかと素足で踏み込むことのできた人物」だと。
その途方もない大きさと深さは、小林の日常に極めて近いところに寄り添い続けた大岡昇平の随想にしっかり刻まれているし、実の妹である高見沢潤子の遺した『兄 小林秀雄との対話』にもしっかり刻印されています。
特に後者は、極めて難しいとされ近寄ることもかなわない小林秀雄の思想に、その日常を通じ自然な形で触れ合っていけるという意味で、あのエッカーマンの『ゲーテとの対話』をも彷彿させる、優れたメモワールと言えるでしょう。
そして、やはり小林秀雄本人の著作で言えば、その膨大な全集を展望しつつ、まずは「ランボオ」から。再び、その歩みをかみしめつつあるところです。
コメントを残す