ジョージ・オーウェルと言えば、まず「1984年」が有名ですが、実はこの「動物農場(Animal Farm)」こそ、彼に大きな名声をもたらした小説であるというのは、あまり知られていません。
牛や馬、羊や豚、鶏など、日頃人間に飼われている「家畜」たちが団結して立ち上がり、人間に対抗して「動物だけの国」を作り上げるという、いわば「おとぎ話」に見えるのですが、実はこれは、1945年の発表当時の「ソビエト連邦」に対する痛烈なパロディーになっていたのです。
社会主義・共産主義を推し進めるソ連において、独裁体制を築いたスターリンとその幹部たち。「動物農場」では、これが「豚」として描かれ、ほかの動物たちと共に動物の国を作り上げたはずなのに、なぜか豚だけが権力を奮い、特権を享受し、厳しい粛清を加え、他の動物を支配してしまう。それら動物たちは、「何かおかしい」と感じながらも唯々諾々とそれに従い、過酷な労働を強いられ、前よりも厳しい毎日を送るようになってしまう。
資本主義によって搾取された人々を不公平から救い、平等な社会を実現するはずなのに、そのリーダーたちは、それらの人々の上に君臨し、暴力と恐怖で支配し、エリートの特権的権益を享受してしまう。
豚のリーダー、ナポレオン(つまりスターリン)による「すべての動物は平等である。だが一部の動物は他よりもっと平等である」というこの言葉。これこそが共産・社会主義の最大の矛盾の根源であると。
言いかえれば、社会主義・共産主義イコール、独裁主義・全体主義なのだと。
ジョージ・オーウェルの先見性は、この基本的な構造に今からおよそ80年前に気づいたばかりか、それを勇気を持って発刊し、警鐘を鳴らしたことにあります。
実際、そのあまりに強烈なメッセージ性から、当時多くの出版社が出版に二の足を踏み、オーウェル自身も苦労を重ねたようですが、ひとたび出版されるや大ベストセラーになり、その後の米ソ冷戦構造の中で、むしろテキストとして世の中に推奨されていくまでになるのです。
そして、私が一番強調したいのが、この「動物農園」のメッセージが、21世紀の今、現在、世界中でおこっていることにこそ当てはまるのではないかというところです。
1980年代末のベルリンの壁崩壊とともに、世界の主要な社会主義諸国は一気に消えたかに思えますが、中国、北朝鮮、キューバや中南米の各種社会主義政権、その他、ほぼあらゆる社会主義は、個人崇拝、歴史改変、粛清、弾圧などの道を歩んでおり、ソ連と同じ「全体主義」が今も多くの人民を苦しめているのです。
それがよく現れているのが、彼の書いた「序文」なのですが、一部抜き書きしてみます:
- いま現在、主流となっている見方は、ソ連への無批判な賞賛だ
- ソ連の体制に対するまじめな批判、ソ連政府が隠しておきたい事実の公開はすべて、ほとんど不可能だ
- 米英のマスコミはほとんど常にロシアの好む側をひいきにして、それに敵対する勢力は糾弾し、そのためには物的な証拠を隠すことさえあった
- 巨大で不正直なプロバガンダのうねりがあり、重要な問題を冷静に議論しようとする人物すべてをボイコットする動きがあった
- 現代の奇妙な現象の一つはリベラルの変節だ。いまや民主主義を守るには全体主義的な手法しかないという主張が大きく広まっている
- 民主主義を愛するのなら、その敵は手段を問わず押しつぶさねばならないという理屈がまかり通っている。つまり、民主主義を守るためには、思想の独立性をすべて破壊するということになってしまう
- 多くの平和主義者たちが、ロシアの軍事主義に対する崇拝の広がりに対してまったく声をあげない
- 言論の自由を恐れているのはリベラル派なのであり、知性に泥を投げつけているのは知識人だ
- 民主的な国家の人々の意見を、全体主義的なプロバガンダがどれほど簡単にコントロールできてしまうか
どうでしょう、特に今のアメリカにおける民主党政権のあまりにもあからさまな情報コントロールと、反対意見を封じ込めるキャンセル・カルチャー、そして巨大な政府を掲げて、一部の幹部が強大な権力を手中にし一般大衆を支配しようとする構造。それらはすべてこの「全体主義」につながる危険性を露骨に示しているものと考えられないでしょうか?
そして、この「動物農場」のさらに深遠なところは、エリートである豚の圧政や不正のもとにあっても、それ以外のほとんどの動物たちが声も上げず、反対もせず、ただ弱腰のままそれに従ってしまう姿を描いているところです。そういった無力ぶりこそが、ますます権力の横暴を招き、スターリンやヒトラーなどの独裁者を、帝国主義のもとだろうと社会主義のもとだろうと、容認してしまうことにこそつながるのだ、という視点だと思います。
「1984」と並んで、今、まさに目を通しておくべき書物ではないかと思われます。
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