クラシックの「三大B」といえば、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス。
でも、ずっと前からでんど〜は思ってました。
「三大Bにがてだな〜」。
バッハもベートーヴェンもブラームスも、いくら聴いても、どれを聴いても、実は、今まで心から良いと思ったことがないのであります。シンフォニーだろうが、コンチェルトだろうが、ピアノだろうが、オルガンだろうが。決して嫌いではないのですが、心からのめり込むような経験は、ほとんどありません。
これは結構プレッシャーでありました。なんせ「三大B」です。クラシック音楽界最高の権威。ドイツが生んだ絶対的な楽聖。それに感動できないなんて・・・。そんなことがあっていいのか?
でんど〜はクラシック・ミュージックが大好きであります。
ドビュッシーでしょ、ラベルでしょ、フォーレでしょ、そうですフランス近代です。イタリアのオペラももちろん素晴らしい。ヴェルディ、プッチーニ、マスカーニ。ピアノはショパン。マーラーの偏執狂的交響曲も良いぞ。ロシア系ではチャイコフスキー、ラフマニノフ、ムソルグスキー、ストラビンスキー。それと、イギリスの近代もいいな。ディーリアスとか、エルガーとか、ボーン・ウィリアムスとか・・・。
確かにドイツ系(オーストリア含む)少ないなー。良いといえば、ワグナー、あとはリヒャルト・シュトラウスぐらい。
3大Bも、モーツアルトも、ハイドンも、ヘンデルも、シューマンも、シューベルトも、メンデルスゾーンも。近代ではシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクも、みんな特に好きではありません。
なぜだ、なぜだ?
なぜクラシック音楽の宝庫、ドイツ系に感動できないのだ???ベートヴェンに感動できないなんてことがあっていいのか?
石井宏氏の著書「反音楽史―さらば、ベートーヴェン (新潮文庫)」を読むと、かなり納得させられます。
氏の主張は、要するに「いわゆる『音楽史』は、ドイツ人が自らの民族が生んだ作曲家の貢献を故意に強調するため、むりやり勝手に書きかえた創作だ」というもの。ドイツ人が、その文化的後進性を挽回するための、大キャンペーンによる起死回生のホームランとでも言わんばかりの論調です。
今までの定説を大きく覆す挑戦的内容ですので、大きな反響をよんでいるようです。特に、ベートーヴェン、バッハといえば、ありがたがってかしこまって拝聴する日本人の琴線に触れるものですので、違和感を感じる人も多いでしょう。
しかし、でんど〜はとっても興味深く読みました。やや乱暴で独りよがりなところもありますが、おおむねそういうこともあったのではないかと納得させられる画期的なものです。根拠となる歴史的事実はよく調べられていますし、たんなる読み物としてもむちゃくちゃ面白いです。
結局、でんど〜としては「聴いても、あまり感動しない。」これが決定的なんではないかと思うのですが・・・。
さて、どうでしょう?
みなさんも、ぜひ手に取ってみて下さい。クラシックを愛する皆さんと、ぜひ議論をしてみたいと思います。
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