「プログレ同好会」閉会の弁

まさに蛇足ではありますが、ここで最後に、久我の考える理想のプログレをもうひとつ。それは例えば、ジェネシスの「Can-Utility and the Coastliners 」であります。

「ウォッチャー」や「サパー」など名曲の居並ぶ「フォックストロット」、そのアナログ盤A面の最後、ひっそりとある種静謐なたたずまいで、この曲は立ち現れます。地味なイメージですが、やがて非常に複雑な構成をもってクライマックスを迎える。5分44秒の至福。しかし、この短い時間軸でなぜここまで目まぐるしく曲調が変転する必要性があるのか?
5人の若者が、自分でも理解できない内なる衝動に突き動かされて、ある芸術作品を共同で練り上げる。そこに「売れるかどうか」なんて考慮は、おそらくこれっぽっちもなかったでしょう。それぞれのメロディ、楽曲構成、楽器演奏、そしてもちろん歌詞。これらが、各人の感性の激しいぶつかり合いによってやがて一つに収斂していく。その創作過程は、グスタフ・マーラーが精神に変調を来しながらも交響曲を創造していったものと何ら違いはありません。「理由などない。すべてはこうでなければならない」。妥協を一切排した創造。これこそが、芸術というものの神髄だと思いますし、久我がプログレに求めるものの神髄でもあります。

それでは、皆さんしばしお別れを!

久我 潔

コメントを残す