ディストピア小説の最高峰は?

近未来小説といえばディストピア(dystopia)文学ですね。理想郷を意味するユートピアのまさに反意語ということで、「暗黒の未来」を描き、人類に警鐘を鳴らす作品が多く出されています。

その中で、まず第一に上がるのは、ジョージ・オーウェルの「1984年」でしょう。

ビッグ・ブラザーによる全体主義の支配する未来社会で、人間らしさを奪われた人類はどう生き残っていくのか?かつてアップル・コンピューターが、巨人IBMに対抗するイメージで、この「1984年」のイメージをコマーシャルに使ったのも記憶に残るところです。

でもわたくしは、あえて「1984年」以外の作品を、この分野の最高峰に選びたいです。

それは、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」です。

そこで描かれる未来社会では、管理が極端なまでに進み、人間の誕生すら「工場」で扱われ、役割に応じた「人種」が意図的に生産されます。洗脳的な教育と合法的な「麻薬」によって、そこで毎日を送る人間は、もはや疑問すら抱きません。

ビッグ・ブラザーのようなはっきりした「支配者」もおらず、圧政に対抗する人類も出て来ないので、弾圧と対立といったドラマチックな描写もないです。しかも、「性生活」すら人類に対する「甘味剤」として提供されるので、そのあっけらかんとしたフリー・セックスぶりに、「この新世界にむしろ行きたい!」という読者もたくさん出たとか・・・。

ただ、だからこそ、人が人でなくなってしまうという全体主義の究極的な恐ろしさが、これ以上ないほど迫ってくるんです。これを「すばらしい新世界」と呼んだハクスリーの恐ろしいまでのアイロニー・・・。

しかもハクスリーは科学技術への造形も深いことから、この未来社会の仕組みや、ひとつひとつの機械装置に至るまで実にリアルに描写しており、むしろこのまま即SF映画を作れるんじゃないかと思われるほどのリアルさで迫って来ます。

これが今から90年前の1932年の作品であり、オーウェルの「1984年」からも20年近く前ということで、その先進性にはひたすら驚嘆いたします。

ぜひ、ご一読をおすすめします(光文社の新訳がおすすめです)。

さてもう一つの代表的ディストピア小説といえば、ロシアのザミャーチンの「われら」でしょう。

発表年は1927年と、三つのディストピア小説の中では一番古く、当時まさにスターリン体制下のソ連。そこで、26世紀の全体主義社会における「葛藤と対立」を描いた空想小説を出してしまえば、当局から睨まれないわけはありません。何度かの逮捕、投獄の末に、ザミャーチンは最終的に、国外への亡命を余儀なくされました。

おもしろいのは、後に、ジョージ・オーウェルが「われら」を批評しており、「第一級の作品ではないが、異色の作品であるのはたしか」と微妙な評価をしているのに加え、「ハクスリーの『すばらしい新世界』は『われら』から部分的にヒントを得ているのに違いない」などと、人の作品にケチをつけているところです。

なぜならオーウェルの「1984年」の方がよほど「われら」に似ており、特に、管理社会における「男女関係」にスポットが当てられている点などはそっくりとも言えます。ちょっとオーウェルさん、フェアじゃないんじゃないの?(ただ、オーウェルは「動物農園」というこれまたディストピア的な傑作も書いているので、やっぱりスゴい!)

ということで、それだからこそ、全編をとにかくドライに描きつづった「すばらしい新世界」が、よほど強烈なメッセージとなって、読者に迫ってくるように思われるのです。

いずれにしても、21世紀の現代社会こそ、まさに世界中に「全体主義」の恐れが増幅しているとしか思われず、この3大ディストピア小説は、どれも目を通しておく価値があるものと思います。

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