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「失われた時を求めて」10巻読み終わりました・・・。
前巻終了から
4ヶ月、やっと第10巻「囚われの女 II」までたどり着きました。
ふー。
あと3巻。それで全13巻が完結するんだ。
このペースだとまだ1年かかるのか・・・。長いなー。でもゴールは見えてきた気がするなー。
「失われた時を求めて」9巻読み終わりました・・・。
前巻から5ヶ月掛かってる。。。帰国とか、人生に色々転機が訪れたのも事実ですが、それにしてもペース落ちてる・・・。
でも、ただ苦しいだけかというと、もはやそういうことでもありません。なんせ、この世界に一昨年から付き合ってるんです。深く深く入り込んじゃいました。今では、1ページ1ページ、というか1行1行を味わい尽くしながら進む感じ。
橘玲ワールドの集大成「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」
橘 玲の書籍が持つ独特の気配。
評論にしても小説にしても、世の中のすべてを裏からながめ、時にギリギリ危ない方にも近づきながら、単にクールだけでもない「希望」に似たトーンを持ってるといった感じ。
でんど〜は橘玲が大好きであります。
ちょっと疑いながらついて来たけれど、今や相当な信頼感を持って新作を待っていると言っていいです。
「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」は、橘玲の最新刊。彼の「思想」の集大成といった風格さえ感じられます。
キー・ワードは「伽藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!」。
今度は、トマス・ピンチョンの「競売ナンバー49の叫び」
気になっていたピンチョンに初めて挑戦しました。
トマス・ピンチョンは1937年生まれのアメリカの作家。1963年に『V.』でデビューして以来、長編の問題作を続々と発表。2009年には『Inherent Vice』という新作も出しました。
ノーベル文学賞の候補に何度も上るほどの評価を得る一方、そのプライバシーは厚いベールで覆われています。何しろ、今まで発表された写真が数枚あるかないか。インタビュアーに追っ掛け回されて、裏山まで逃げて行ったという逸話もあるほどの、謎の小説家です。
「競売ナンバー49の叫び」は、難解極まりないと言われるトマス・ピンチョンの作品の中では、比較的取っつきやすいとされれているようです。
でも、すごく難物でした・・・。
村上春樹訳 レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」
はずかしながら、レイモンド・チャンドラー初めてです。
あまりの素晴らしさに圧倒され、一気に読み切りました。
同じ村上春樹新訳の「グレート・ギャツビー」は、いまひとつ納得できなかったのですが、どうにも気になって手に取ってしまった文庫版の「ロング・グッドバイ」。
村上春樹が解説で述べるとおり、これはまさに「準古典文学」であります。「準」とわざわざつけるところに、村上氏の慎重さがうかがえますが、これはミステリーの形態をとった真の純文学でしょう。いつまでも「ミステリー」の枠の中でしか評価を得られないことに、憤っていたチャンドラー。まさに本人は、「本格的な文学小説」の語り手と自らをとらえていたことでしょう。その孤高。
「失われた時を求めて」8巻読み終わりました・・・。
第8巻「ソドムとゴモラ II」。 やっと読了です。
ふー。。
一冊に4ヶ月もかかってしまった・・・。とほほ。。。
思わずほかの本にも浮気してしまいました。アメリカつながりで、マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」などなど。
さて、「ソドムとゴモラ」。ということで、いよいよストーリーは禁断の世界へ深く入り込んで盛り上がるのかと期待(?)もあったのですが、これが、どうもそういうことにはなりません。
サイモン・シンの最新作「代替医療のトリック」読みましたけど・・・。

「フェルマーの最終定理」や「宇宙創成」など一連のサイエンスもので抜群の切れ味を見せてくれたサイモン・シン。
彼の最新作は、通常の正規の医療ではない「代替医療」、例えば、鍼治療とかカイロプラクティックやハーブ療法といった、非常に普及しているけれどもよく実態のわからない医療分野にメスを入れたものです。
で、正直、今回はイマイチでした。。。
まず、そういった様々な医療行為の抱える問題点やまやかしなど、目から鱗といった感じで一刀両断にされて行くのですが、結論はみな同じ、しかも冒頭からそれが丸見えということで、読書のスリルという意味ではややイマイチなんです。
サイモン・シンの他の著作、例えば「宇宙創成」では、「ビッグ・バン」という誰でも耳にしたことのある宇宙の原理を題材にしながら、その歴史を丁寧にたどりつつ、対立する学派の人間模様などを具体的なエピソードとともに生き生きと描き出します。難しい科学のテーマを、そういった素養のない素人にもとても分かりやすく、知的で手に汗にぎる一級のドラマ、一級のエンタテインメントに仕立て上げてくれるところに彼の本領があるんだと思います。
今回の「代替医療」も、一つ一つのテーマを丁寧に掘り下げるという点では評価でき、例えば鍼治療のように「効き目はあるんだろう」と思い込んでいた医療行為の実態がまざまざと浮き彫りになって行きます。ただ、やや説明調が目につくのと、色々な医療を次から次に採り上げるので、なんとなく「医療百科事典」のような参考書にしか思えないようなところが残念です。知識としては大変ためになるのですが、エンタテインメントとしてはどうかということです。
そういう意味では、冒頭部分のビタミンCと壊血病の関係や、大昔に広く行われていた「瀉血療法(血を抜いてしまう医療)」の驚くべきエピソードなど、歴史的事実をひもとくところに、サイモン・シン本来の筆力が生かされているのが興味深いです。誰もが知ってるナイチンゲールの秘話も、とても面白かったです。
彼にとっては初の共著(エツァート・エルンストという大学の先生)ということもあって、本来の個性がちょっと薄まってしまったのかなという気もします。
とにかく、代替医療という分野そのものに関心をお持ちの方には必読の書だと思いますが、でんど〜のように、優れたサイエンス系の書物がもたらしてくれる知的興奮というのを求める方々には、今回はあまりお勧めできません。
→それでも読んでみようかという方はこちらからどうぞ。
「失われた時を求めて」第7巻読み終わりました・・・。半分突破です!
前巻の読了が2月7日なので、第7巻は一ヶ月ちょっと。多少ペースが上がってきました。
ふー。
「第四篇 ソドムとゴモラ I」。
ということで「いよいよ来たか!!」。期待(?)に震えました。「ここまで耐え忍んできた甲斐があったぞ。ついに、ものすごいことになって行くんだ!」
いきなり冒頭、怪しさ満開のシャルリュス男爵が大暴走を開始してくれます。仕立て屋ジュピヤンと出会うともう歯止めが利きません。「うひぇ〜」。
で、あれれっ??
そこから先は、主人公がまたリゾート地バルベックに行ってしまう。そして、延々と亡きお祖母さんをしのんでる。このへんは、もうとにかく「失われた時よ、早く過ぎよ」。
そして、宿敵アルベルチーヌ。今度はゴモラ的にとんでもないことが巻き起こりそうな予感が?予感が?あんまり、しないなー。
と思っているうちに、第四篇の前半は終了してしまうのでした。
読むスピードが上がってるってことは、乗って来てるんだと思います。これまでに比べて、さらに苦しいってことはありません。そういう段階はもう過ぎたと言うか、けっこうサクサクと。何か、壮大なおあずけを食いながら、訳も分からず前に進んでる感じではあります。これがプルーストにはまるってことなんでしょうか?
あと6冊!
ふー。
→失われた時を求めて〈7〉第四篇 ソドムとゴモラ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)はこちらです。
「グレート・ギャツビー」村上春樹訳で読みました
アメリカ文学を渉猟しているわけでも、スコット・フィッツジェラルドに傾倒しているのでも、ましてや村上春樹のファンでもないでんど~が、今ごろ「グレート・ギャツビー」を読んだ理由はただひとつ。ランダムハウス社「20世紀の英語小説ベスト100」の2位にランクされていたから(1位は「ユリシーズ」)。
そこまでの本ならば、読み忘れは許されません。
同書の訳が複数ある中で、この村上春樹の新訳は絶賛されているようです。村上春樹自身がギャツビーに心底惚れ込んでいる。それが解説の中で、なみなみならぬ思い入れで語られている。「カラマーゾフの兄弟」に匹敵するとまで言っています。
え?そこまで言う?。これがドストエフスキー??
確かに、ヘミングウエイなどと並べアメリカ文学を論じれば、ギャツビーが高い位置を占めるんでしょう。それが、「20世紀の英語小説」としては高い評価ということ。
でも、例えば「海外小説史上ベスト100」(「考える人」2008年)では、ギャツビーは26位です。それでも世界的名著であるのは間違いないでしょう。ただ、カラマーゾフ(同3位)と比べるというのは、いくらなんでもどうかということです・・・。(ちなみに同1位は「百年の孤独」2位「失われた時を求めて」)もちろん、そもそも小説のランキングを論じること自体に意味があるのかという点は認識しておりますが・・・。
確かに、28歳でこれをものにしたスコット・フィッツジェラルドの早熟振りには驚くべきものがあります。全編を覆う詩情。特に、単純なアメリカン・ドリームに陰を投じた、なんとも言えない切なさが本作の魅力の核心でしょう。
しかし、全体のコンパクトなボリューム感と、その「詩情」のわりに、無理やり詰め込まれたような印象のドラマチックなストーリーに違和感を覚えるのと、語り手ニックに感じる共感のわりに、ギャツビー本人に対してどうにも手応えがありません。
でんど~としては、ウィリアムズバーグのアメリカ版「明治村」に感じた、あまりにも何もない底の浅さというのに近い感覚を持ちます。一皮めくると何もないアメリカ。いい意味でも悪い意味でも。だからしがらみなく、単純明快に、人間の鋭角的なエネルギーを強烈に放射できる。そんな国、アメリカ。それは人間の「獣性」への接近ともイコールで、文学の深みからは対極にあると感じざるを得ません。
そして強く感じたのが、これが村上春樹のルーツそのものということ。まさに彼の文体から「詩情」の全てまで。功なり名を遂げた安心感から、自らの「ネタバレ」をできるまでになっただけ、というのは嫌味すぎるでしょうか?
「失われた時を求めて」6巻まで来ました・・・。
「第三篇 ゲルマントの方 II」第6巻を読みました。
ふー。
読み終えて衝撃の事実を知りました。「失われた時を求めて」ってのは、全10巻と固く信じ込んでたんですが、なんと13巻だと・・・。たはっ・・・。まだ半分も来てないんだ。。。。
5巻を読んだのが去年の12月17日だから、一冊読むのに2ヶ月弱かかったことになる。ってことをは、残り全部読むのに、え〜と、あと1年と2ヶ月。。。。。。
ふ〜。
分量のことばかり書きましたが、実は、ストーリーの方は相当盛り上がって来ております。
この「ゲルマントの方」。後編に来て、ようやくプルーストが一体何を書こうとしているのか、分かってきた気がします。
とにかく、ほとんど一巻すべてを費やして描かれるのが、「フランス社交界における才気(エスプリ)」。その究極の存在として君臨する「ゲルマント公爵夫人」。その壮大なる空虚。
さらに、プルースト自身の屈折ぶりが明瞭にあらわれる「ユダヤ人」と「同性愛」のテーマ。特に後者については、ますますのっぴきならない気配を秘めながら、次巻へ続きます。
次巻のタイトルは「ソドムとゴモラ」。言うまでもなく、聖書に現れる酒池肉林の街。神の怒りをかって崩壊したという。ということで、物語はいよいよその暗黒の世界へ奥深く入り込んで行くのでしょう。
人間の底知れぬ内面。そのすべての側面を妥協なく書き記すこと。
さらに、プルースト先生に食い下がって行くことにしましょう。。。。っていうか、今さらもう引き返せない・・・。
→長旅の道連れ募集中!「失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)はAmazonで。
サイモン・シンの「宇宙創成」
最新作「代替医療のトリック」が出たばかりのサイモン・シン。その腕前は、「フェルマーの最終定理」で証明済みです。
で、その新作が届く前に、まだ読んでなかった「宇宙創成」を読みました。
すでに読まれた方も多いと思いますが、これは2006年、「ビッグバン宇宙論」という書名で出版された単行本の文庫化で、原題もずばり「BIG BANG」。つまり、宇宙創成そのものである「ビッグバン」について真正面から取り組んだ本です。
訳者もコメントしていますが、「ビッグバンもの」はもう世の中にあふれているのに、「何で今ごろ?」というのが第一印象。古くはホーキング博士からたくさんあって、一般の間でも「宇宙って、大昔に爆発してできたんだ」ってことだけは、だいたい浸透しています。
そういう感覚でこの「宇宙創成」を読み進めると、最初は確かに戸惑います。大昔にさかのぼり、名前を聞いたこともないような科学者たちの「宇宙の謎」への奮闘の歴史が続きます。
でも、それぞれのエピソードがものすごく興味深いんです。
例えば、異なる学説どおしの「血みどろ」の戦い。宇宙は「大昔から常にあったのか」、あるいは「ある時点からスタートしたのか」。その根本的な問い掛けは、以前は五分五分。というか「常にあった派」が優勢だったこともあったと。まるで「天動説」と「地動説」の対立のようです。
それぞれの学派の「証拠集めへの格闘」がまたすごい。その証拠で、「ビッグバン説」がはっきり証明されたという事実にも正直驚きました。でんど~は、ビッグバンと言っても、それはSFのようなもので、「宇宙の始まりは恐らくそういうもんだろう」程度の概念と思い込んでいたのですが、ここまで厳密な実証の過程を経たものであったとは・・・。
さらに、「世界には始まりがあった」という説は、当然にキリスト教の「創世記」を思い起こすということで、猛烈な宗教論争も避けられません。このへん、客観的学問の極地であるはずの「科学」と、スピリチュアルそのものの「宗教」とが正面から対峙している。日本では考えられない議論のあり方にも想い至りました。
ということで、この本はビッグバンそのものというより、それを題材にして「人類の英知への道のり」を解き明かすことに重点を置いたものなんだ、ということが良く分かります。「科学史」をうんと分かりやすく、万人に提供すると同時に、ニュートンやアインシュタインといった誰でも知ってる科学者の光り輝く業績の影に、何十、何百という名も知れぬ科学者たちの「地と汗と涙」が眠っているんだと。
そういう意味で、著者サイモン・シンの力量は、「フェルマーの最終定理」に続き。今回も充分証明されました。
さらに評判の高い「暗号解読」も読まないといけません。「代替医療のトリック」も早く届かないかな。
→「宇宙創成 (新潮文庫)」はAmazonでお求めいただけます
「失われた時を求めて」 やっと5巻・・・。
やっと5巻まで読みました。
ふー。
既に半年以上かかってる。読み終わるのは、いったい、いつになるんだろう。。。
多くの人が史上最高の文学のひとつにあげる、マルセル・プルーストの大小説。神経症としか思えないような書きぶりに、最初かなり難渋しましたが、慣れると、さすがに面白くなってきました。「第三編 ゲルマントの方」。これから、さらにくっきり浮かび上がってくるであろう「壮大な構築物」のことを思うとワクワクです。
ところで、第5巻の終わりについてる解説。完全に反則です。ネタバレもいいとこ。最も重要なストーリー展開を暴露しちゃってます。何を考えとんじゃ。わしゃ、まだ途中なんじゃ!こういう文学者/評論家がいるから困ります。
それでも、なんとしても、読むしかない。。。。
「フェルマーの最終定理」ぜひ読んで下さい。
おもしろ「理数系シリーズ」。今回は、サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」です(青木薫訳、新潮文庫)。
丸っきり「文科系」の筆者も、「数学の世界にこれほどのドラマがあるのか!」と、思わず手に汗にぎり大興奮して一気に読み進めてしまいました。とにかく面白い。
フェルマーの最終定理は、17世紀にフランスの数学者フェルマーが示したもので、なんと20世紀末まで誰も解けなかったという超難問のことです。なにしろ、世界中の名だたる数学者がこの問題の証明に挑んだのに、みなことごとく敗れ去って行きました。本書は、この超難問に対する挑戦の歴史と、一人の若き数学者にスポットを当てた、人生を掛けた格闘のドラマなんです。
2000年の出版で、知る人ぞ知るベストセラーだったようですが、私はある雑誌で、宇宙物理学者の池内了先生が勧めているので知りました。「人生がもっと楽しくなる傑作・名著(科学30冊)」の一冊ということで、先生曰く、「著者のサイモン・シンは、数学の専門家ではないのに、数学史の要点をわかりやすく押さえ、数学者たちの格闘を描いてしまう勉強ぶりは本当にすごい。一つ一つのシーンがドラマティックに描写され、本と対話しているような気持ちになってくる」とのこと。正に、そのとおりです。
数学に関して特に興味深いのは、ある証明を成し遂げると、その問題については正に「証明済み」ということで、以降一切挑戦にさらされることがない、ということです。この点、例えば物理学の発見などは、長い将来には全く観点の異なる新たな発見によって、その歴史的価値がひっくり返ってしまうようなことがあります。その点、ある数学の証明を成し遂げた者は、未来永劫その栄誉を手にするということで、だからこそ、その栄誉を求める数学者たちの努力は、尋常でないものになる。時には、政治的な判断も求められる、熾烈な競争の世界なんです。
数学というと尻込みしてしまいますが、この本は、可能な限り数式を排除し、むしろストーリーに焦点を当てていますので、ぜったい大丈夫です。とにかくお勧めいたします。
尚、サイモン・シンは、このほか「暗号解読」や「宇宙創造」といったベストセラーを矢継ぎ早に出していますので、これらもぜひ読んで行こうと思っています。
→フェルマーの最終定理 (新潮文庫)はアマゾンで!
「渋江抽斎」 近代日本文学の最高峰???
「古典名作シリーズ」。こんどは、森鴎外の「渋江抽斎」です。
一般には無名な江戸末期の医師「渋江抽斎」という実在の人物にスポットを当て、その生涯をつづるというもので、「伝記」ということになります。
鴎外晩年の傑作という評価が定着しており、例えば丸谷才一は、これを「近代日本文学の最高峰」と讃えています(「プレジデント 50 plus」2009.7.15号別冊)。
だったら、やっぱり読んでみないと。。。。
「う〜ん・・・。あの、これって、それほどのものなのでしょうか????」
「なんとたわけたことを言っておる!鴎外の不朽の名作を!この馬鹿モノ!!!」
「ははっ、お代官さま、お許し下され。。。。。」
どうも、森鴎外絶対不可侵という雰囲気が、日本の旧インテリ層にあって、めったな事を言っては罰が当たりそうです。
丸谷才一曰く、「よく知られていない人物を題材にして、探偵小説のようにすこしずつその人物のことを解き明かして行く。しかも、そのプロセスが鴎外一流の見事な文章で書かれている」。
確かにそうです。
尋常じゃないほどの緻密さで、詳細な事実が積み上げられて行く。抽斎本人の年代史のみならず、その伴侶、子供、親、親戚、恩師、弟子、知り合いの知り合いまで、何世代にも渡る人物の生年月日から、墓碑銘まで。鴎外は、縁ある場所を実際に訪れ、徹底的に調べ尽くします。恐るべき「考証力」と言えましょう。
「無名の人物にも、誰も知り得ない深い人生の断面が存在するし、年代を超えたつながりというものが脈打っている。」
それは、分かります。
ただ、ここにドラマがあると言えるのでしょうか?
ドストエフスキーを、「我を忘れ度の最高峰」といった人がいますが、小説の醍醐味はまさにそこにあるでしょう。「カラマーゾフの兄弟」にひとたび没入してしまうと、その物語世界のめくるめく展開に、濁流にのまれるように翻弄されて行く。登場人物が、実在としてありありと感じ取られ、それぞれの「人生」に、ともに泣き、喜び、怒り・・・。
まさに「我を忘れさせてくれる」のが文学であると。
その点から、この「渋江抽斎」が「近代日本文学の最高峰」であるとすると、正直、ちょっと寂しい気持ちがしてしまいます。
まず、主人公抽斎の人柄というものが、一切伝わりません。ひたすら読書と調べ物が好きな医者ということ。それだけに近いです。そういう意味では、奥さんの「五百」の方が、まだ人間味が感じられます。ご主人の身が危うくなったとき、風呂から飛び出し裸で短刀を忍ばせていく。なかなかのエピソードです。
しかし、主人公そのものがこれだけ存在感の薄い物語って、ありなんでしょうか?
丸谷才一も「鴎外の小説に出てくる人物に魅力がない」と認めています。え?それって致命的でないの??
さらに、「渋江抽斎の続編である「伊沢蘭軒」、「北条霞亭」と読み進めていくこと」を薦めていますが、正直、もう十分という気がいたします。
丸谷先生に質問してみたいです。「例えば、あくまで例えばですが、三島由紀夫の『豊饒の海』と比べても、『渋江抽斎』の方が上でしょうか?」と。
ちなみに、丸谷才一の推薦する「不朽の名作」とは(同上):
・森鴎外「渋江抽斎」「伊沢蘭軒」「北条霞亭」
・「プルタルコス英雄伝」
・ディドロ「ラモーの甥」
・ギボン「ローマ帝国衰亡史」
・デフォー「モル・フランダース」
等々。
誰も先生のような高尚な境地には達しておりません。普通の庶民が、読書の参考にしようという一般雑誌の記事なんですから、どうかもう少し、そういった目線でご推薦願えませんでしょうか?
でないと、みんな読書の入り口のところで立ち止まっちゃいます・・・。





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