<久我の100曲>『仮面舞踏会』セルジオ・メンデスとブラジル ’66

お次はセルメン

セルジオ・メンデスとブラジル’66が1966年にリリースした『マシュ・ケ・ナダMas Que Nada)』は、ボサノバ、そしてブラジル音楽の世界的なブームを巻き起こす原動力のひとつとなりました。日本でも大いに人気を集めましたね。

リアルタイムで触れた久我にとって「セルメン」は、まさに「はじめて聞くワールド・ミュージック」だったんです。

で、特にハマったのが、『マシュ・ケ・ナダ』ではなくこの曲、『仮面舞踏会Masquerade)』:

ほんまに、クールでカッコ良かったんだわー・・・。

リリースは1970年。実はこの曲、日本以外ではシングルの「B面」扱いで、A面は、あのレノン&マッカートニーの『ノルウェイの森』だったんですね。どんな事情で、日本だけそうなったのか不明ですが、この独特な「愁い」を含んだ曲調が、日本人に受けると判断されたんでしょうか。結果は、TBSラジオの“POPS BEST10”で20位と、それなりのヒットとなりました。

ちなみに『ノルウェーの森』はこんな感じです:

ブラジルの民族音楽をベースにしつつ、欧米ポップスのヒット曲なども積極的に採り上げ、ジャズのクールな香りもまぶしながら、現代的で聴きやすいボサノバに仕立て上げる。セルジオ・メンデスの、アレンジャーとしての実力は折り紙つきでした。

セルメン率いる「ブラジル ’66」は、生ピアノ、ドラム、ベース、パーカッションという最小限の超シンプルな編成。

たったコレだけで、どうしてここまで魅力的なボサノバになっちゃうの?

秘密のひとつは、そのヴォーカル。

時がたち、バンド編成も変わり、バンド名も「ブラジル ’66、’77、’88」と変わって行っても、常に、フロントに立つヴォーカルは「女性ふたり」と決まっていました。二人の実力派シンガーがダイナミックに歌い上げ、セクシーさも演出。セルメンの舞台はいつも華やかだったんですねー。

中でも最強だったのは、ブラジル ’66のヴォーカルをつとめたラニ・ホール。のちにハーブ・アルパートと結婚し、A&Mレコードの社長夫人となった女性です。

久我もたくさんの女性ヴォーカリスト愛してきましたけれど、このラニ・ホールほどの実力者は、ほかにあまりいないと言っていいのでは?

相方の女性ヴォーカルと絡みながら、英語でもポルトガル語でも、パワフルにリズミカルに。肝心のソロ・パートとなったら、これ以上ないくらいの「コブシ」も効かせて、我々を魅了してくれます。

例えば、1970年の大阪万国博覧会での記念すべきライブにおけるこの歌唱。なんとダイナミックなんでしょう!

セルジオ・メンデスは、ブラジル本国や、本格的にブラジル音楽を愛する人たちからすると、欧米にすり寄った「ニセもの」、「俗物」とみなされる傾向にあり、アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルトなどの「ホンモノ」と同じような尊敬を集めることはほとんどありません。

それでも、そんな評判はどこ吹く風。こだわりを捨てて多数のアーティストとコラボしつつ、世の中のトレンドに応じて変身を続けながら、たくさんヒットを飛ばし、78歳の現在に至るまで現役を続けているんだから、セルメンって本当にしぶといです。

その金字塔の一つが、1983年に全米4位のヒットとなったこの曲、『愛をもう一度Never Gonna Let You Go)』:

こうなると、もはやAOR丸出しで、正直「一体どこがボサノバなんじゃい?」という気もしますけれど、とにかく名曲であることはまちがいありません(転調に転調を重ねる難しい曲を、よくぞここまで聞かせてくれたと思いますが、セルメンさんは、もはやアレンジャーでもキーボード奏者でもなく、ただ「プロデューサー」と記載されているのみ・・・。でも、イイんです!!

そして、元気にブラック・アイド・ピーズとコラボして、21世紀の『マシュ・ケ・ナダ』を聞かせてくれる、セルジオ・メンデス:

ますますお元気に!

➡️セルメンの膨大なキャリアをまとめて堪能できるベスト盤はコチラです:

コメントを残す